旭川空港
2014年10月29日。出発地、北海道の旭川市は雪模様。冷たい風が吹きすさぶ中、私と母は旭川空港までやってきていました。
これから、二泊三日の金沢・福井旅行です。
行きは、旭川空港から羽田空港で乗り継いで小松空港へ(①、②)。
帰りはその逆(③、④)↓。
合計四区間。私としては今までの人生で一番ともいえる大型旅行です。
人生において絶対叶えたい夢
この旅行は母の定年退職祝いも兼ねたものとして、二年以上前から計画を立ててきました。
母の「一生に一度は豪華な温泉旅館に泊まりたい」という願いを叶えるため、一泊目の宿は大奮発して、石川県山代温泉の「あらや滔々庵」に決めました(「あらや滔々庵」決定に至るまでのエピソードはこちら)。
一番の目的地は福井県の「平泉寺白山神社」。
「伊勢神宮と白山神社の往復参拝」が私の「人生において絶対叶えたい夢」の一つで、伊勢神宮には2007年と2008年に詣でたので、次に行かなければならないのが白山神社なのです。
最初で最後の北陸
白山のある北陸は北海道からは遠くて遠くて、交通費がかかりすぎるため、行こうと思ってもそう易々とは行ける場所ではありません。
今回の旅行が、人生において最初で最後の北陸になるかもしれない。そういう覚悟を抱きました。
人生初の北陸。人生初の高級温泉旅館。人生初の飛行機乗り継ぎ。
「伊勢白山の往復参拝」という夢に近づくための一歩。
私にとってはとても大事な旅行で、「絶対に成功させねばならない」と相当な気合いを入れていました。
緊張しすぎで頭痛と吐き気
しかし、「失敗できない」という強い思いが極度の緊張を招き、体に影響を及ぼしたのでしょうか。
よりによって出発の二日前(10月27日)、持ち物の最終確認をしているさなかに得体の知れない吐き気と頭痛に襲われ、動けなくなったのです。
どうしよう。私は焦りました。とりあえずすぐ横になりましたが、何時間経っても具合は悪いまま。このままではとても旅行には行けない。
どうしよう、どうしよう。今さらホテルも飛行機もキャンセルできないし。
なぜこんなことになったんだ……。
今回の旅行のために今まで積み上げてきた努力が脳裏をよぎりました。
旅行のためにしてきた努力
私は2009年に大きく体調を崩して療養に三年を要し、すっかり筋力が落ちてしまったのですが、この旅行の二年前(2012年)から地道に踏み台昇降やウォーキングマシンでの歩行運動を続け、長距離の移動や観光にも耐えられるよう体力向上を図ってきました。
出発の一ヶ月前からは旅行中の生活リズムに合わせて起床・就寝し、野菜たっぷりの食事を腹八分目に食べて内臓の調子を良くし、旅行中に便秘だと辛いからと、普段飲まない便秘薬まで飲みました。
旅程は、「何時何分に駅に着いたら何時何分の電車に乗り……」と、スムーズにいかなかった場合も想定して何パターンも立てました。↓
初めて行く場所でも素早く行動できるように、駅の構内図等もすべてプリントアウトし、到着する場所、出発する場所、コインロッカー、改札口、エレベーターの位置などを把握。↓
この二泊三日の旅行のために、費やした時間と労力は計り知れません。
飛行機のチケットを取るのだって一苦労だったのです。
それなのになぜこんなことに……!!
私が行けないとすべてがパー
「もし私が行けなかったら母さん一人でも行って」と、ソファーで横になったまま母に言いました。それだけが希望のように思えました。けれど母は「えーっ、イヤだ」と即答。
母だけでも行ければ救われると思っていたのが、それは叶わぬ願いなのだとわかって愕然としました。私が行けなければ母も行けない。つまり今回の旅行のすべてがパー……。
そんな事態は避けたい。避けねばならない。とにかく、体調が戻るのを信じて待つしかない。
今度は不眠
そして、旅行の準備を一切やめておとなしく過ごしたおかげか、翌日(出発の前日:10月28日)、体調は少し持ち直していました。これだったらぎりぎりいける。そう思ったのですが、その日の夜、今度はまったく眠れないのです。
もう、次の朝には飛行機なのに! 私は乗り物酔いしやすいので、酔いに悪影響を及ぼす「寝不足」は避けたいところ。けれど、目を閉じていても意識は冴えたまま。
結局一睡もできないまま出発当日(10月29日)を迎え、到着した旭川空港。
眠れないながらも、ベッドに横になってずっと目を閉じてはいたので、ひどく寝不足であるという感じではないように思えました。
これから合計二時間半以上、二区間のフライトに耐えなければいけないけれど、おとなしく過ごしていればなんとか持ちこたえられるはず……。
と思ったのが大間違いだったのです!!(→「飛行機酔いで車椅子」に続く…)